ある日、僕は拾った子犬の里親募集のポスターを貼っていた。

寒い雨の降る夜に、公園に置かれたダンボールの中で震えていたのだ。見ないふりをしようとしたが、それはその子犬の死を意味していた。

だから、しかたなく拾った。

その子犬の里親募集のポスターを貼っていると小型犬を自転車の籠にいれたおばあちゃんが通りがかった。

「あんたエライなぁ、あの世にエエ貯金ができるわ」

「あの世に貯金?うーん、僕は今に貯金したいんやけど、生活に支障がでるんや」

そのおばあちゃんは、買い物袋から1000円札を引っ張り出して僕の胸ポケットに押し込んだ。

「わたしは、何もようせんからこれ使い」

おばあちゃんは、そう言って去っていった。

まるで、おつかいをして誉められお小遣いをもらった子供のような気分になって、やぶれたジーンズを履いてたのかなと自分の姿を見回した。まぁ髪の毛はボサボサではあったけど、それでもこの「わたしは何もようせんから・・・」という言葉が頭に残った。

この言葉、これは人間社会の基礎なんじゃないだろうか?

僕は河を渡る橋をつくることが出来ないから、誰かに頼む。タダではない、お金を払う。僕はそのかわりにそのお金を僕ができる仕事をして稼いでいる。

このおばあちゃんは1000円で保護活動という社会に参加をしたのだ。そういうことだ。

ゴミを拾う人がいれば、手伝うことも方法だが、その人の食事を作ることも方法だ。

互いの存在を認め、その中で個であること。自分にできることで社会を構成する一員になること、これってコミュニティじゃないか。

そんなことを1000円を握りながら思った。

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